偽島に生息する未確認生命体F:フレグランスの記録帳
『ティムティム?』 |
【ブワセック!】 |
『お話を始めよう。これは偽の島に辿り着いた、ある怪人と、彼を取り巻く人々の物語』 |
第十三夜:蝶
山野を覆った黒雲は、その日夜半を過ぎても晴れる事は無かった。
不吉に渦を巻く文様は、まるで天空に開いた大きな眼が下界を睥睨しているかのようで、村人達は火の粉が及ぶ事を厭うように目を閉ざし、耳を塞いで貧しい家屋の戸を締め切り引き篭もっている。
ただ山中にひっそりと建つ屋敷だけがまれびとの訪れを待ち受けるかのように篝火を点していた。それは初代から続く習わしであった。総領息子が息を引き取る際には一族に富を齎した神が訪れ、直々に常夜へ迎え入れてくれると云う。
「ああ、良く熟している」
うっとりと官能さえ篭った溜息を漏らして怪人───ベラ、と自ら名乗る異形の女は死の床に着いた男の顔を見下ろした。
痩せこけた頬、すっかり乾いて水気を失った皮膚、嘗ては美しく青い燐光を放っていた蝶の耳も黒ずんだ色に変じている。女の鋭い鉤爪が病んだ男の頬を伝い、 夜着の合わせ目から胸元へと滑る。肌が傷付き、薄っすらと血が滲んだが男は僅かに眉根を寄せただけで反応を返すだけの気力も残って居ない様子であった。
己の呪詛に身を灼かれ続け苦悶する様も美しかったが、絶望と諦観に彩られ、尚僅かな心残りと希望に揺れる脆弱な心情が、己の与えた呪物を通じて伝わって来る。
弱弱しい鼓動を伝える心臓の上にぴたりと鉤爪を押し当てて、ベラは男の耳元へ囁いた。
「何がお前の最期の望みだい、言ってご覧」
伏せられていた瞼が持ち上がり、男の白く濁った瞳が虚空を彷徨う───死を前にした人間の脳裏に湧き上がっては泡沫の如く消え行くあらゆる希望や欲の残滓を味わうように、ベラは男の乾いた唇を爪でなぞる。
「─────さなぎ、」
溜息の如き呟きだった。万感の思いを込めてただ一言漏らして、男は生命の全てを使い果たした。
その耳元でぼろぼろと崩れ落ちる蝶の翅が塵のように舞い、ベラの手元へと集う。手の内で塵が形作る幻の蝶を握り潰しながら、異形の女はくつりと喉を鳴らした。
遺跡外に設置された魔法陣の上に立ち、内部へと踏み出そうとする探索者達の列に並びながら、隣に立つさなぎに話し掛けた。昨日告げるべきか否かを迷い濁した言葉は互いの間に余所余所しい空気を作り上げており、フレグランスには何とも居心地が悪い。
落ち着かなげにそわそわと太い指先を擦り合わせたり踵を上げたり下ろしたりと貧乏ゆすりのような事をしながら、機会を探し、言葉を選んで───結局そのどちらも仕損じて唐突に伝えた言葉に、少女は弾かれたように顔を上げた。
ベラが何を望んで蝶の呪い等を用いたのかはわからない。
ただ、蝶神とやらが憑いているからこそ彼女の耳は異形であり、その事実が自信の無い頼りない態度を取らせ、そして今表情を曇らせているのだとしたら、許せない事だと思えた。
素早い身のこなしも、痛烈な一打も、女の細腕で繰り出す武芸の見事さも
懸命に作ってくれる暖かな食事も、幼子を労わる柔らかな白い手も、それらの美徳を否定してしまえる程の災厄を彼女の身に与えているのが己の同類なのだとしたら、そしてベラの言うように自分達が「そう生まれ付いている」のだとしたら、フレグランスは気鬱に溜息を漏らした。
転移の魔法を掛けられた文様を踏み締め、マナの齎す浮遊感に身を任せながら隣に立つ少女を気にかける。
思案げに伏せられた睫毛をほんの僅か青白い光が過ぎる。間近に浮遊する青い蝶が、道しるべのように平原を飛んで行くのを見送ってから、「行こう」と声を掛けてフレグランスは偽りの遺跡の中へと歩み出した。
次回──第十四夜:困惑
不吉に渦を巻く文様は、まるで天空に開いた大きな眼が下界を睥睨しているかのようで、村人達は火の粉が及ぶ事を厭うように目を閉ざし、耳を塞いで貧しい家屋の戸を締め切り引き篭もっている。
ただ山中にひっそりと建つ屋敷だけがまれびとの訪れを待ち受けるかのように篝火を点していた。それは初代から続く習わしであった。総領息子が息を引き取る際には一族に富を齎した神が訪れ、直々に常夜へ迎え入れてくれると云う。
「ああ、良く熟している」
うっとりと官能さえ篭った溜息を漏らして怪人───ベラ、と自ら名乗る異形の女は死の床に着いた男の顔を見下ろした。
痩せこけた頬、すっかり乾いて水気を失った皮膚、嘗ては美しく青い燐光を放っていた蝶の耳も黒ずんだ色に変じている。女の鋭い鉤爪が病んだ男の頬を伝い、 夜着の合わせ目から胸元へと滑る。肌が傷付き、薄っすらと血が滲んだが男は僅かに眉根を寄せただけで反応を返すだけの気力も残って居ない様子であった。
己の呪詛に身を灼かれ続け苦悶する様も美しかったが、絶望と諦観に彩られ、尚僅かな心残りと希望に揺れる脆弱な心情が、己の与えた呪物を通じて伝わって来る。
弱弱しい鼓動を伝える心臓の上にぴたりと鉤爪を押し当てて、ベラは男の耳元へ囁いた。
「何がお前の最期の望みだい、言ってご覧」
伏せられていた瞼が持ち上がり、男の白く濁った瞳が虚空を彷徨う───死を前にした人間の脳裏に湧き上がっては泡沫の如く消え行くあらゆる希望や欲の残滓を味わうように、ベラは男の乾いた唇を爪でなぞる。
「─────さなぎ、」
溜息の如き呟きだった。万感の思いを込めてただ一言漏らして、男は生命の全てを使い果たした。
その耳元でぼろぼろと崩れ落ちる蝶の翅が塵のように舞い、ベラの手元へと集う。手の内で塵が形作る幻の蝶を握り潰しながら、異形の女はくつりと喉を鳴らした。
フレグランス「僕と同類なんだとしたら、そいつは神様なんかじゃないよ」 |
遺跡外に設置された魔法陣の上に立ち、内部へと踏み出そうとする探索者達の列に並びながら、隣に立つさなぎに話し掛けた。昨日告げるべきか否かを迷い濁した言葉は互いの間に余所余所しい空気を作り上げており、フレグランスには何とも居心地が悪い。
落ち着かなげにそわそわと太い指先を擦り合わせたり踵を上げたり下ろしたりと貧乏ゆすりのような事をしながら、機会を探し、言葉を選んで───結局そのどちらも仕損じて唐突に伝えた言葉に、少女は弾かれたように顔を上げた。
ベラが何を望んで蝶の呪い等を用いたのかはわからない。
ただ、蝶神とやらが憑いているからこそ彼女の耳は異形であり、その事実が自信の無い頼りない態度を取らせ、そして今表情を曇らせているのだとしたら、許せない事だと思えた。
フレグランス「。0(さなぎちゃんはあんなに強いのに)」 |
素早い身のこなしも、痛烈な一打も、女の細腕で繰り出す武芸の見事さも
フレグランス「。0(さなぎちゃんはあんなに優しいのに)」 |
懸命に作ってくれる暖かな食事も、幼子を労わる柔らかな白い手も、それらの美徳を否定してしまえる程の災厄を彼女の身に与えているのが己の同類なのだとしたら、そしてベラの言うように自分達が「そう生まれ付いている」のだとしたら、フレグランスは気鬱に溜息を漏らした。
転移の魔法を掛けられた文様を踏み締め、マナの齎す浮遊感に身を任せながら隣に立つ少女を気にかける。
思案げに伏せられた睫毛をほんの僅か青白い光が過ぎる。間近に浮遊する青い蝶が、道しるべのように平原を飛んで行くのを見送ってから、「行こう」と声を掛けてフレグランスは偽りの遺跡の中へと歩み出した。
『はつかねずみがやって来たよ、今夜のお話はこれでお終い。』 |
次回──第十四夜:困惑
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